みんなで決めよう「原発」国民投票
「原発」都民投票条例案 知事意見に対する反論
石原都知事は本日、私たちが323,076名の有効署名をもって制定を求めた『「原発」都民投票条例案』に対して、制定に反対する意見とともに都議会に付議しました。
私たちは、知事意見の内容はいずれも失当であることを認め、下記のとおり反論します。
知事及び都議会は、多くの都民の意思を真摯に受け止め、丁寧かつ誠実に条例案の審議を行うことを強く求めます。
記
一.「原子力発電所の稼働の是非は、国が責任を持って判断すべき」という点
知事意見では、「エネルギー政策は国家発展の要であり、原発立地地域及び電力消費地域並びに電力業界との調整の上、専門的知見を踏まえた上で、国が複合的に判断すべき」とありますが、ここには原発の存在、稼働に対する、生活者、消費者としての危機意識が、全く感じられません。
昨年3月の福島第一原発事故による放射線被害は、私たちの日常生活に大変な脅威となりました。現在なお、産業はどう変わるのか、雇用は守られるのか、といった不安を抱え続けています。さらに、放射性被害に無防備な幼児、高齢者の健康と安全をどう守っていくか、食品は安全基準を満たしているのか(安全基準はそもそも妥当なのか)、安心を得るために気が休まることはなく、目に見えない恐怖と戦い続けているのです。今回、私たちが街頭で署名活動をしていたときも、多くの方から、「政治にはこれ以上任せておけない」、「都民が自ら決断するときがきた」と、共感の声をいただいてきたところです。
代議制民主主義の下、恐怖と不安が解消されるどころか、逆に拡大しています。
事故から一年以上が過ぎましたが、福島第一原発の1号機から4号機までの廃炉が決定したことを除いては、東京電力その他の電力会社が所有する他の発電用原子炉に関しては、野田内閣の漠然とした方針と、極めて不透明な政策決定プロセスにおいて、世論とは相反するベクトルで、結論ありきの「再稼働」がなし崩しに行われようとしています。
過去3年間の国政選挙、都議会議員選挙、都知事選挙において、原発の是非は争点化していません。今後の中長期的なエネルギー政策、原発の是非は、党派を問わず、世代を超える重大な問題です。現時点で政治家にあらゆる決定を任せること自体、正当性を欠いています。まして、霞ヶ関の官僚は市民が選んでいるわけではありません。
原発事故を契機に、私たちは様々なことを学びました。私たちは主権者であり、この国、地域の将来に関する最終的な決定権を有していることを、改めて意識し、自覚するに至りました。そして、この決定権とともに、将来に対し果たすべき責任があることも深く自覚するに至った次第です。ある争点に関し、直近の公職選挙と住民投票との結果が食い違い、間接民主制のスキームで生まれる矛盾は容易に解消されない(特定の業界団体が影響力を発揮し、選出過程を支配することのできる現在の選挙システムの限界)ということも、過去の事例が教示するところです。
とりわけ、東京都は電力の最大消費地(者)であり、東京電力の筆頭株主であるという法的地位にあります。サービスを享受するだけの受動的立場に固まり、思考を停止させるではなく、また、一部の専門家による「専門的知見」にも惑わされず、都民が真摯に難題と向き合い、考察、判断し、意思決定をするプロセスを通じ、私たちは初めて、安全と安心を自ら手に取ることができます。
そのための最も公平で、開かれた、権威ある手段として、都民投票を実施することを強く求めます。
二.「立地地域やその住民の多岐にわたる問題を考慮すべき」という点
知事意見は、「東京都は、原発立地地域から長年にわたり電力を享受し、原発稼働は安全面や経済に大きな影響を与えるところ、都民投票では、地域の様々な問題に考慮することが困難」と述べています。
「立地地域やその住民の多岐にわたる問題」に係る政策の決定は、国及び当該自治体が排他的に有しています。本来は、都民投票の実施を肯定する理由にも否定する理由にもなり難いものです。
しかし私たちは、都民という立場であっても、立地自治体の経緯と現状を議論することは、とても意味があることと考えます。
なぜなら、投票行為に至るまでの、自由な討論空間における闊達な議論、情報公開と情報評価を通じた「討議のプロセス」を、何より尊重しようと考えているからであり、その過程の中で、これまでに為しえなかった情報の開示が大いに期待されるからです。
これまでの原発政策は、国、立地自治体、電力会社の三者のみで決定し、自由な意見、批判が事実上排除されている中で推進されてきました。ことさら原発に関しては、最も民主主義のプロセスから遠い位置にありました。
福島第一原発事故を教訓として、これまで東京都(民)が取り続けてきた姿勢、立場から目を背けることなく、徹底的に検証し、議論を尽くすことが肝要です。これが私たちの立脚点であり、条例案第1条に定めるところの、エネルギー問題に係る市民自治の原点を取り戻すスタートラインです。そして、これまで立地自治体に対し、片面的に犠牲を課し続けてきた責任を果たす第一歩になると確信しています。
三.「投票資格者に疑義がある」という点
1.16歳投票権について
私たちは、およそ高校一年生となる年齢に達していれば、投票案件に対する合理的な判断は可能であり、また、現状で選挙に加わることのできない若者を、都民投票にこそ参加させるべきであると考えます。
私たちが署名活動を行っていた期間中、渋谷では現役の高校生が連日駅頭に立ち、署名の呼びかけを行っていました。彼に呼応し、多くの若者が関わり、署名活動が拡がりをみせていきました。さらに、結果として法的に無効となりましたが、多くの未成年者が自分の思いを伝えようと、条例制定に賛同し、署名を行ったことも事実です。そして現在、原発稼働の是非に関して、なお多くの若者がツイッター、ブログで意見を表明したり、デモ、集会に参加したりしています。この重要な政策決定に際して、多くの若者の声、心情を無視し、決定権を広げず、これまでの投票制度を淡々と続けていくことは許されないと言うべきでしょう。
原発稼働の是非は、日常生活に対する影響ばかりでなく、将来にわたるエネルギー政策のあり方も厳しく問われることとなります。原発の安全性、とりわけ核燃料サイクルを巡っては、根本的な問題を後の世代に先送りし続け、半ば思考停止状態に陥っていましたが、それを二度と繰り返さないことが、今回の原発事故の教訓です。政策決定のあり方としては、次代を担う、できるだけ若い世代の意見を汲むことが必要不可欠なのです。
沖縄県で行われた「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する県民投票」(1996年)では、投票年齢が満20年以上とされていたところ、基地問題等に係る地元高校生の参政意識を大いに奮発することとなり、正規の住民投票と併行し、沖縄県内ほとんどの高校で、高校生による自主投票が行われたという経緯があります。純然たる国策問題と位置付けられがちですが、地元高校生にとっては、地域自治のあり方と自己決定とが密接に結びついた重要な問題だったのです。
都内若者の、原発問題に係る参政意識は、非常に高いレベルに達していると、私たちは認識しています。
2.永住外国人の投票資格付与について
永住外国人の投票資格に関しては、2002年、滋賀県米原町の住民投票条例で初めて採用され投票が実施されました。以来、各地で実施された388件の住民投票のうち約3分の2の自治体において、永住外国人の投票権を認めました。また、各地で制定された常設型住民投票条例、自治基本条例などでも多く認められるに至っています。投票案件に係る日常生活上の利害は、国籍の有無にかかわるものではありませんので、住民としての投票資格を認めることは、一定の合理性、妥当性があると考えます。
なお、永住外国人の参政権付与に対する否定的な受け止めもあり、今日までの外国人登録制度に係る運用実態にも鑑み、投票資格者名簿に職権登録し、一律に投票資格を認めるものではなく、あくまでも本人からの申請に基づき投票資格を認める制度設計にしていることを付言しておきます。
3.投票資格者名簿の調製について
「投票資格者名簿を事前に調製することは不可能」との意見についてですが、「不可能」とは「選挙人名簿をそのまま使用することができないので、別途、名簿を調製することになったら、選管の名簿登録事務が煩雑になる」という、実務上の不満を言い換えたものにすぎないと理解します。
投票資格者名簿の調製は、条例案第5条に定める資格要件を、既存の住民情報システムにあてはめることで可能です。秋田県岩城町で行われた合併の是非を問う住民投票(全国で初めて18歳以上の者に投票権を認めた。2002年)をはじめ、公職選挙とは異なる投票資格を認める住民投票では、いずれも投票資格者名簿を別途、事前に調製しています。この点に関する実例は、枚挙に暇がありません。
四.「地方自治法に抵触する規定がある」という点
1.国民投票法の準用について
東京都における住民投票は、過去の知事選挙と同様に、百万票単位で投票結果(の賛否)が確定するものです。公職選挙法に類似する、投票運動に対する広汎な規制は一切置かないものの、大規模自治体で行われる住民投票という特性を踏まえ、投票の公正と自由を確保するための最小限度の規制を設けることとし、この点に関しては別に条例を定めることを想定しています。
本条例案は、国民投票法の条文の一部を準用するとしています(第12条第2項)。ここで「準用する」というのは、当然のことながら「直接適用する」という意味ではありません(直接適用は、初めから想定していません)。犯罪構成要件、法定刑ともに、法令の範囲内で定められるべきことは言うまでもありません。とくに、条例による罰則規定は法定刑に上限があることから(地方自治法第14条第3項)、例えば最も法定刑が重くなると想定される「多衆による都民投票妨害罪」の「首謀者」は、「二年以下の懲役又は禁錮」という法定刑になり(ただし、公職選挙法、憲法改正国民投票法よりも、はるかに軽いものです)、他の類型についてはさらに軽い処罰規定が設けられることが想定されます。
この点、本条例案が公職選挙法ではなく、国民投票法を「準用」したことには理由があります。法の制定過程において、人を選ぶ公職選挙と政策を選択する国民投票では本質が異なることを踏まえ、いわゆる「投票の自由・平穏を害する罪」と「投票手続に関する罪」とを限定的に列挙した経緯があり、法体系において親和性、整合性が高いといえるからです。とくに組織的多数人買収罪及び利害誘導罪(国民投票法第109条)の構成要件は、公職選挙法の規定(第221条)よりも極めて厳格なものになっており、解釈の幅が狭く、濫用のおそれが少ないと考えます。
2.公務員による都民投票運動の自由
公務員による都民投票運動の自由を認めるのは、法に違反するとの意見が付されていますが、この点も妥当ではありません。
そもそも現行法下では、署名運動等を伴わない純然たる賛否の勧誘運動(条例案第12条第1項にいう都民投票運動は、これに該る。)は、国家公務員は自由に許される(国家公務員法第102条、人事院規則第14-7)のに対し、地方公務員は許されず、違反した者は懲戒処分の対象となる(地方公務員法第36条)という不均衡が生じているところです。
条例案を作成した当初は、少なくとも、都知事に対して直接請求が行われるまでには、国民投票法の一部改正(同法附則第11条に従い、公務員による国民投票運動につき、各種公務員法の政治的行為の制限規定の一部についてその適用を除外する法制上の措置をいう。)がなされることを念頭に、「確認規定」として当該条文を置くことで、公務員による都民投票運動の自由を担保することをねらいとしていました。
しかし、国民投票法の一部改正が実現していない今日、条例案第12条第3項の法的意義が否定されるかというと、そうではありません。先に述べたように、国家公務員にだけ賛否の勧誘行為が許され、地方公務員には許されないという不均衡は何ら合理性を有せず、例えば経済産業省・資源エネルギー庁の職員は自由に都民投票運動をすることが可能で、都内自治体の職員は運動が規制されるというのでは、都民投票それ自体の信頼性を揺さぶることになりかねません。
条例案第2条第2項では、都民の意見表明権の保障をうたっていますが、(地方)公務員といえども都民であることには変わりなく、運動主体としての法的地位が承認されるべきです。
そこで、条例案第12条第3項は、「知事及び市町村長は、公務員が行う都民投票運動及び投票案件に係る意見の表明並びにこれらに必要な行為が不当に制限されることとならないよう、留意しなければならない。」(懲戒権者に対する訓示規定)という解釈において、なお有用性があることを申し添えます。
他方、公務員が都民投票運動に便乗するような形で、特定の事件又は政党を支持する目的で勧誘運動、署名活動等を行うことは、公務員に求められる政治的中立性を害し、違法と判断されることになります。公務員であっても許される行為と許されない行為とを厳格に区別することが、運用の混乱を避けるため、解釈上必要となることを指摘しておきます。
五.最後に
条例案には直接の定めがありませんが、都民投票の執行に要する費用、都民投票の広報のあり方など、投票案件に対する意見の相違を乗り越えて、都議会各会派が合意形成をなすべき論点があります。
私たちは今後も一貫して、「都民の意思が正しく反映される」(条例案第2条第2項)制度づくりが実現するよう、知事及び都議会に対し十分な審議を求めるとともに、都民の負託を条例制定に結実させるための取り組みを、さらに強化していく所存です。
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